Works

Records,CD


Counter Clockwise Trip
Peking ペキン/A.Sakata Trio
Tenoch Sakana(10inch Album)
Pochi/ポチ A.Sakata Trio Live
20 人格/20Personalities
Shinutokiwa Betsu 死ぬときは別/Wha-ha-ha
4 O'Clock/Sakata Orchestra
Live-dub/Wha-ha-ha
Dance/A.Sakata Trio at Munchen
Getahaitekonakucha/下駄はいてこなくっちゃ Wha-ha-ha
Berlin-28/Sakata Orchestra at Berlin Jazz Festival 1981
Trauma/Sakata Sextet(12inch 45rpm)
DA-DA-DA/A.Sakata & his DA-DA-DA Orchestra
Tacology タコロジイ
Akira Sakata vs Spherical Sound
Mooko/蒙古 Akira Sakata, Bill Laswell & Ronald 'Shannon' Jackson
Silent Plankton/ Akira Sakata
Nano Space Odyssey
Flying Mijinko Band微塵子空艇楽団/
Central Asian Tour(非売品)
どうでしょう?!(How's That)
海La Mer/Harpacticoida
Scenic Zone/ gazelle 
Fisherman's.com
108 Desires
坂田さんとTOY-Live at PIT INN-
A SAKATA/KAIGARABUSHI DJ KRUSH REMIX
赤とんぼ
百八煩悩
およばれ tetrodotoxin
ひまわり
「かなしい」expLosion
ズボンで/Friendly Pants
ゆめ der Traum
おむすび
HAGYOU(ハ行)
NANO SPACE ODYSSEY(re-release)
MOOKO (re-release
Akira Sakata&chikamorachi/Friendly Pants
MOOKO (re-release
Produser  Bill Laswell,Akira Sakata,Ronald Shannon Jackson,Robert Musso 1987.Dec.NY.

Akira Sakata(sax,piano etc.)
Bill Laswell(bass)
Ronald "Shannon"Jackson(drums)

art work Shionro Otake
desighn Takuji Nomoto
2009 Bridge-136
Numbers:
Memo:
これはBridge からの復刻版であります。内容は初版と同じです 

<自分で書いたライナーノート>
Mookoとは言うまでもなく蒙古でありモンゴルである。録音したのは87年で、もう23年前に遡る。
シャノン・ジャックソンに「一緒にレコーディングしてもらえないだろうか」と手紙を書いたら。「勿論だが、レコーディングするならビル・ラズウェルにプロデュースしてもらったほうがうまくいく」といわれ、ビルに頼むことになった。
ビル・ラズウェルとはその前年かれのLast exitに入って共演していた。シャノンがドラムスでギターがソニー・シャーロック、サックスはペーター・ブロッツマンであった。轟音が鳴っているにもかかわらず、不思議とうるさくない音に驚いた記憶がある。
 私は腹巻になけなしの現金を入れてNYへ飛んだのだが、ビルは大変良くしてくれた。時差ぼけに参った。最後の日には寝過ごした。あわててスタジオへ行くと、「サカタ!出来たぞ」とビルがいった。エンジニアのロバート・ムッソーと二人でもくもくとミックスをしてくれたのである。私のほうは一時が万事、失敗の山だった。
 そのときビルと話をして盛り上がったのは“モンゴリア“だった。オルティンドーやホーミーといった雄大な草原を想起させる音楽について語った。話は「バンドでモンゴルへ行こうよ!」と大変な話になった。レコード・タイトルは文句なしにMOOKOとした。
その頃、私は一方では「ミジンコは凄い」といいながら、もう一方では「モンゴルは凄い」と吹聴して歩いていた。そしたら「新世界紀行」という番組のプロデューサーからお声がかかり、90年11月にホーミーの紹介を主目的でモンゴル高原へ行くことになった。
晩秋の冷え込む大草原でモンゴルの人と共にカセットテープのMOOKOを聴いた。音楽は不思議と風景に合っていた。彼らも「是非モンゴルへバンドをつれてきてくれ」といってくれた。4年後の94年、国際交流基金の主催事業で私とビル・ラズウェルの率いる世界混成13人編成の「ミジンコ空艇楽団」は終にモンゴルで演奏した。NYでの約束から7年、快挙といってもおかしくない時代だった。今の朝青龍、白鵬らモンゴル人が日本の大相撲を席捲するとは夢にも思えない、昔のことである。
2009.2.1. 坂田明

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